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マザーテレサに対する海外の批判

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マザーテレサに対する海外の批判

宗教の利点としてよくあげられるのが愛他精神です。そのシンボルの一人がマザーテレサですが、実は海外ではいろいろ批判もあります。日本では彼女を褒め称える本ばかりが出版されているので、バランスを取るべく? 批判文の1つを紹介します。

原文:http://www.emaxhealth.com/1275/mother-teresa-less-saint-sick
 マザーテレサはしばしば、利他主義、自己犠牲、病者や弱者への思いやりの象徴として持ち上げられる。だが何人かの研究者は、彼女の存在は全く他者のためにならなかったと主張し、憤激と論争を招いている。結局どうなのだろう。

マザーテレサは病人を救ったのか?
 マザーテレサは世界中から集めた数億ドルを、病人や貧困層のためにどのように使っていたのか(あるいは、そもそも使ったのか?)という疑惑は、世界中で静かな波紋を呼んでいる。これに関してはいろいろ新しい記事も出ているが、そもそもの土台となったのはある一人の人物のレポートだ。
 
 作家兼ジャーナリストのクリストファー ヒッチェンズは、病人がマザーテレサの施設で受けたケアを調査し、彼女が受け取ったはずの莫大な金はどこへ行ったのかという疑問を持った。金の出所はノーベル財団を含む多数の宗教的、世俗的な機関や裕福な個人で、個人の寄付者にはハイチの独裁者デュバリエ一家や、脱税で世の中を騒がせたチャールズ キーティングが含まれている。

 マザーテレサは資産についての質問を受けた際、自分は120の国で施設を開いていると答えた。だが明らかに、寄付金の全てが施設のための設備費や人件費に使われていたわけではなかった。

 ヒッチェンズがFree Inquiry誌に投稿した記事によると施設は、「機器が不足している上に非科学的な運営が行われており、近代的な医療施設があるべき姿とはほど遠い」ものだったという。ヒッチェンズはSlate誌の記事において、「カルカッタの施設は、創立から彼女の死亡のときまでずっと、原始的な状態のまま放置されていた。彼女は自分が病気になったときは、カリフォルニアの病院で治療を受けていた。」と指摘している。

 さらにマザーテレサと彼女の業績に関する別の調査が、モントリオール大学とオタワ大学の研究者によって行われた。彼らはマザーテレサと彼女が創設した施設に関する280の文献を調査した。

 この調査によると、マザーテレサは自分が「奉仕していた」病人や貧困層について、独特の見解を持っていたらしい。「弱者が自らの運命を堪え忍ぶ姿はキリストの受難のようで美しい。世界は彼らの苦しみから多くを得ている」、施設の状態について批判を受けたときの彼女の回答である。果たして彼女に、病人や貧困層にまともな医療を受けさせようという気があったのだろうか?

 さらに調査では、施設を訪れた医師が「衛生状態の顕著な欠陥、必要なケアの不足、不十分な食事、鎮痛剤の不使用」を確認したとしている。さらにヒッチェンズは、カルカッタの施設で働いたことのあるボランティアの多くが、硬直化したイデオロギー、貧困への賛美に嫌気が差してやめていったことを指摘する。

 それではマザーテレサが受け取った数億ドルはどこへ消えたのだろう? モントリオール大学とオタワ大学の報告書によると、彼女はインドの洪水で被害を受けた人々のために進んで祈りを捧げ、聖女マリアのメダルを渡したが、金を手放すことはなかったようだ。彼女の基金に会計監査が入ったことはなく、銀行のアカウントのほとんどは秘匿されていた。

 マザーテレサのために11年間募金集めをしていたコレット リバモアは、著書の中でこう書いている。「私はマザーテレサの『貧困層を救うことでキリストに仕える』という理想のために全てを捧げるつもりだった。だが結局は幻滅し、彼女の下を離れることになった。若き日の私の信仰と理想は、現実の重みに耐えられなかった」。(終わり)

管理人
 クリストファー ヒッチェンズの本は日本語訳が出てませんが、英米では結構有名人です。ちなみにこんな文章紹介しといて何ですが、管理人自身は、マザーテレサは(完璧な聖人でなかったとしても)立派な人であったと思ってます。確かに「貧困層の苦しみが世界にいい影響をもたらす」なんて考えは、オウムの「カルマ落とし」を思わせますし、施設が不十分だったのも事実かもしれませんが、スラム街に放置されていた貧困層にとっては、何もないよりはずっとましだったのではないでしょうか? 「自分たちは意味も無く生まれ、意味も無く苦しみ、意味も無く消える(もちろんこれは貧困層に限った話ではなく、全ての人がそうですが)」という現実に向き合うよりは、「自分たちの苦しみは世界のためなんだ」と信じて死んでいけた方が幸せでしょうし。
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