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人は何故、明らかに不利益な宗教にしがみつくか

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人は何故、明らかに不利益な宗教にしがみつくか

宗教にはまっている人は、その宗教が実際的な利益をもたらさないばかりか、自尊心を高めるための役にさえ立たない場合でも、信仰を続けようとします。代表的な例はイスラム教徒の女性ですが、何故彼女たちは自分たちを蔑視するような宗教から離れようとしないのでしょうか?この疑問について、キリスト教原理主義(イスラム教ほどではないが女性蔑視的)の教団にいたことがある女性が答えた文章があるので紹介します。

原文:http://www.patheos.com/blogs/excommunications/2015/03/why-dont-women-just-leave-fundamentalism/

 キリスト教徒でない人にとって、その下で苦しむ人々が信仰を捨てようとしない姿は、不可解でもどかしく映るようだ。特に女性はキリスト教原理主義による過酷で不正な処遇に苦しんでいる。「彼女たちは何故離れようとしない?」「何故あんな扱いに黙って耐えているのだ?」、そんな声が聞こえてきそうだ。
何とかその圧政を逃れた女性の一人として、私は自分が何故、キリスト教の中でも最も抑圧的で不公正で性差別的な宗派に改宗し、さらに喜んでその教義に従いさえしたのかを話したいと思う。
 
 私は教育熱心な母親の元、古風なカトリックの家庭で育った。私がフェミニストであると同じくらい、彼女もそうであり、私にオフィスでのスキルを身につけるように勧めてくれた。母はキリスト教が女性に推奨する人生設計に従うことが、いかに不正なことかを知っていたのだ。彼女は私に様々な価値観と道徳を教え、不正義に黙って従う義務は存在しないと教えてくれた。

 だが悲しいことに、母の信念は彼女が実際に送っている人生とはかけ離れたものでしかなかった。母は私に勇敢で強い人間になるよう望んだが、彼女自身が結婚した相手は第一印象からして最悪で、しかも結婚生活を送るうちに思っていたよりさらにひどい人間であることが分かった。両親の生活は控えめに言っても、まるで安定してなかった。10代の頃、つかみ合いの喧嘩をしたばかりの母に、私はなぜ離婚しないのか聞いた。「そんなことができるわけないでしょう。」、彼女は呆れたように言った。そしてイライラしたように付け加えた。「離婚したとしてどこに行けば良いの? どうやってあなたたちを養っていくって言うの?」。

入信
 知人が南部のバプテスト教会に入信するよう勧誘してきたのは、1980年代の中頃で、そのとき私は高校生だった。そしてこれが、右翼のプロテスタントとしての生活の始まりとなる。私は16歳でカトリックからペンテコステ派に改宗し、説教師を目指す男性と20歳で結婚した。その5年後に私たちは破局し、同時に私はキリスト教からも離脱することになるが、その間には本当にいろいろなことがあった。今思えばあの宗教は、母親が教えようとしたこととはまさに正反対だったし、今の私の価値観からも正反対だ。だがあの頃の私にとって、ペンテコステ派の厳格な教義は魅力的だった。

 ペンテコステ派の教義では、男と女はこの宗派が決める規則を守っていれば仲良く暮らしていけるとされている。妻が規則通りに行動すれば、夫は妻を王女様のように扱ってくれるというのだ。確かに「世界標準から」見れば不公平な取り決めかもしれない。だが「世界標準」が私の母に何かをしてくれただろうか? 「男と女がそれぞれ分を守れば、1950年代のような理想的な家庭生活を送れる。現在家庭生活のいざこざが絶えないのは、リベラルとフェミニストが全てをぶちこわしにしたせいだ」。私はこの主張を素直に信じ込んだ。母はカトリックだったので、このような正しい信仰を知らなかった。だからあんな男と結婚してしまったのだ。教義を守っていれば、私はよい結婚生活を送れるに違いない。それが私の思いだった。

 私は原理主義の中に、人生の非常にはっきりした道しるべを見た。それはこれまで手にしたことのないものだった。だがこの信仰が女性に期待する態度は、私にはまるでそぐわないものだった。私は必死で努力し、自分を信仰の型に当てはめようとした。原理主義の外では、自分がどう行動すればいいか、自分の意見を言って良いのはどんなときか全く分からなかった。だが原理主義の中では、ルールはこれ以上ないほど明白だった。例えそれに従うのが不可能であっても、少なくとも間違っているのは自分の方だということだけははっきりしていた。

 私は自分が理不尽な要求をされているとは考えず、最終的には自分がコミュニティーの中で居場所を見つけ、尊敬を勝ち取れるだろうと思っていた。他の何かをしようとはまったく思わなかった。教会は他のクラブやコミュニティーへの参加を禁止していたので、私はほぼ毎日教会に通って、しばしばそこで何時間も過ごした。学校に通う傍ら、余暇には教会でのボランティア活動をし、聖書を勉強した。成績はよかったが、私の関心はそこではなく、霊的な生活と献身に向いていた。私は教会の仲間や指導者に受け入れられ、賞賛されることを望んでいたのだ。もっと欲しかったのは、彼らが持っているように見えたもの、神との一対一の関係だった。私はそれを渇望し、自分の信心の至らないところに気づけば、それが見つかるだろうなどと思っていた(かなり後に、私は教会の仲間たちが神との対話についての経験をでっち上げていたことに気づいた。あの頃の私は、彼らが嘘を言うはずがないと信じ、教会で神に会った経験がないのは自分だけだと思っていた。)

 そして原理主義は、私が元々持っていた二元論的な世界観にも合致していて、その中では世界は非常に確かなものに見えた。原理主義の中では、疑問を持つ必要があることは何もなかったし、難しい問題と格闘する必要も無かった。全ての答えは簡単かつ単純だった。答えを実行に移すことが不可能でも、問題は自分にあるのであって答えにあるのではない。それは絶対確実で疑問の余地がない事実だった。

地獄への恐怖
 原理主義は戒律を守らなければ地獄に落ちると信者に教えている。結婚している場合、妻が戒律を守らなくなった途端に夫は妻を不当に扱うようになり(原理主義の結婚に関する教え自体が不当なものだとは、そのときの私は思いもしなかった)、子供がいれば反抗的になり、終いには犯罪者や麻薬中毒者になるというのだ。戒律を破ったら何が起こるかのリストはまだまだ続き、それぞれがぞっとするほど詳細なものだった。私は何か悪いことがある度に、自分が戒律を破ったのではないかと思い、自分の罪を振り返り、自分がしたかもしれない全てのことについて懺悔するようになっていた。教会では誰かの身に起こった不幸についての噂話がよく流れていたが、そのたびに私は内心こう思っていた。その人は何かすべきでないことをしたに違いない。

 原理主義の中の誰かが私を不当に扱っても、私は教会を離脱しようとは思わなかった。その代わりに行ったのは「救済」にこれまで以上に集中することだった(そもそも「救済」などということが起こりえるかについて考えるのに時間を割いたことはない)。人生は有限なのに対し、死後の生活は永遠であり、現世での出来事のために来世を犠牲にするつもりは全くなかった。確かに教会では著しい不正と不公平が見られ、女はどんなに献身的で信心深くても、男より低く扱われていた。だがそれが何だというのか。どんなに不当な扱いも、天国の黄金の家に住むための権利を捨てる理由にはならなかった。そんなことは考えることさえできなかった。だから私は、何とか信仰にしがみつこうとした。

 だが私を原理主義から離れがたくしたのは、地獄への恐怖だけでない。

 この宗教に深く染まると、離脱は困難を極めた。説教師の夫は典型的な性差別主義者で、妻が反抗のそぶりを少しでも見せれば、どんな反応を示すかは想像が付いた。友人は全員原理主義者であり、私が超えてはならない一線を越えたと判断すれば、一斉に私を見捨てるのは間違いなかった。そして離脱するとすれば、私は自分の世界観や価値観を一から創り出さなければならない。いかなる神の導きもなしでだ。不安定で気まぐれだったにせよ、原理主義の中にはそれがあった。

 だから「何故こんなに多くの女性が、あんな不公正な宗教にとどまっているのか?」と疑問に思う人には、少なくともその一人はこういう理由でとどまっていたとお答えしよう。

 私はあまりに多くのことを恐れていた。私には安全と安心と体系が必要だった。幼い頃から教えられてきた霊的世界が、私の周りに存在すると思いたかった。自分自身より大きな何かの一部でありたかった。

 そしてあの頃の私は、原理主義以外にこの欲求を満たしてくれるものなど思い浮かばなかった。ありのままの自分は、あまりに無力だと感じていた。

離脱
 私はこの宗教がしてくれたはずの約束を見直してみた。牧師と聖書は少なくとも数十の約束をしてくれたはずだが、その約束は果たされていなかった。祈りについての聖書の約束は、歴史的に見ても、科学的に見ても、実生活から見ても全くの偽りだった。最終的に私は、教会の指導者が言う「両性の調和」(公民権運動で批判された「分離すれど平等」みたいなもの)は、調和した社会にも幸せな結婚生活にもつながらないこと、この標語を強く支持するものほど、性差別的で邪悪な人格の持ち主であることに気づいた。その瞬間、私をこれまで押さえつけていた荷物が、いきなり軽くなったような気がした。

 震えながらも、私は自分を脅迫し、型にはめ込もうとしたしてきた宗教を点検し始めた。

 幸運なことに、私には子供はいなかったし、夫と友人は前述のような人々だったので失って困ることもなかった。原理主義の中にいる他の女性の多くは、私の母と同じく別の生き方を知らず、抑圧的な環境の中にとどまりながら最善を尽くそうとしている。

 そしてもちろん、彼女たちの一部はその宗教の中で喜びに満ちた生活を送っている。原理主義を信じる女性の何人かはその環境の中で才能を開花させ、男性にも賞賛され、宗教の広告塔となっているのだ。だがそんな女性は百人に一人もいないのも確かだ。多くは宗教の理不尽な要求に怒りながらも、それが神の望みだと思って耐えている。またその一部は完全に外部から隔離されていて、そもそも自分たちが不当に扱われていることに気づいていない。

 原理主義者の女性に、彼女が信奉する聖職者の正体を暴いて見せたり、創造論が科学ではないことを示すだけでは問題の解決にはならない。教会にとどまる理由には、期待、欲求、共同体、恐怖が複雑に絡んでいる。離脱すれば彼女は唯一の社会的なネットワークを失うばかりか、家庭、職業、経済的安定、そして宗教がらみの話では、魂や天国へ入る権利まで失うかもしれないのだ。

 むしろ驚異的なのは、このようなリスクにもかかわらず非常に多くの女性が原理主義を離れていることだ。彼女たちに必要なのは共感であり、自分たちの疑問や苛立ちを表現する場所であり、精神的な支援だ。

 あの頃そのようなサポートがあれば、私もあんなに長い間あの宗教にとどまることはなかっただろう。だが私は、誰かを非難する気は無い。あの頃にはそもそも改宗という概念自体がなかった。取りあえず今の私は、かつての自分と同じボートに今の乗っている人々のことを理解し、
親切に接してあげるように頼みたい。

 皮肉なことに、母の苦痛に満ちた結婚生活と私のキリスト教との「結婚」はよく似ていた。彼女の失敗の二の舞をしまいとあんなに努力したのに、私は同じような関係を築いたあげく、同じ理由でそこから離れられなくなったのだった。(終わり)

管理人
 原理主義的なプロテスタントはアメリカでは結構大きな宗教のはずですが、これ読む限りではカルトそのものですね。それにしても「(宗教の期待に添えずに、そのことで葛藤しても)少なくとも間違っているのは自分の方だということは、はっきりしていた」という言葉は重い気がします。人間は例えそれが自分に不利なものであっても、「確実な何か」を求めるものなのかもしれません。
 そして一度染まってしまうと、もう元の世界には戻れないってのもよくある話ですよね。オウムだって未だに残ってますし。
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