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コモンズの悲劇 管理人による要約

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コモンズの悲劇 管理人による要約

先日コモンズの悲劇の全文をupしましたが、長いので要約を載せようと思います。全文訳をちらっと見ただけで嫌になった人は、こっちを読んでください。できるだけわかりやすく書いたつもりなので。

コモンズの悲劇(管理人による要約)
 このごろはどんな問題でも技術で解決できるって風潮があるけど、技術じゃどうにもならない問題っていうのも世の中にはあるよ。例えば軍拡競争という問題を技術でどうにかしようと思ってもできないでしょ。同じように人口問題ってのも、実は技術じゃ解決できない問題なんだ。なぜかって言うと、私たちが住む地球が有限で、現在のところコモンズとして扱われてるから。

 コモンズって言うのは誰もが自由に利用できる共有資源のこと。こういう資源は有限である限り、必ず無責任に利用されて枯渇することになるんだ。例えば共有の牧草地で家畜を飼うとして、あなたはその牧草地を大事に持続的に利用しようとする? 例えば家畜の頭数を抑えるとかして。正直言ってしないよね。どうせ自分が大事に利用しようとしても、他人が無責任なやりかたで利用して利益を上げようとするに決まってるんだから。そしてそれによる被害は、まじめに持続的利用を考える人にも平等に降りかかるわけだ。それなら自分も目先の利益だけを考えて、家畜を増やしまくったほうがいいに決まってるじゃん。

 あっ、責めてるんじゃないよ。合理的な人間なら誰でもそうするから。コモンズってのは合理的な人間の集団によって管理されている限り、必ず破壊される運命にあるんだ。そして人間ってのは、「自分が責任ある利用をして他人がそうしなかった場合、損失をこうむるのは自分だ」ということに気づく程度には合理的な生き物だ。結果としてコモンズを利用する全員が、極端に近視眼的なやり方でコモンズを搾取するようになる。これがコモンズという制度がもたらす帰結だ。コモンズが存続できるのは、人口が極端に少ないときだけだってこと。

 それと人口問題と何の関係があるのかって。大有りだ。さっきの例えの「牧草地」を「地球全体」に、「家畜」を「人間」に変えて考えてみて欲しい。この世には自分たちの勢力を伸ばすために、子供をたくさん作ろうとする家族や民族集団がいる。そして彼らがやったことは、人口増加による資源の枯渇や汚染という形で、他の人にも降りかかってくるんだ。過放牧をする人がいて牧草地が荒れると、そんなことをしていない人も悪影響をうけるのと同じ。これを技術で何とかしようとしても無意味だよ。技術によって養える人口が増えれば、彼らはそれに合わせて子供を増やそうとするから。

 これをどうすればいいかって言うと、結論から言っちゃえば無責任な出産の禁止しかない。「生殖の自由」なんてのは絶対に認めちゃいけない自由の一つだ(国連は認めたいみたいだけど)。それから強制するんじゃなくて親としての責任感に訴えようってのもだめ。そんなことをすると、責任感がある人は子供を減らそうとするかもしれないけど、ない人はそんな訴えを無視して子供を作り続けることになる。結果として次の世代は、無責任な人間の子供だらけになってしまう。責任感や良心に訴えることは、無責任な人間の割合を増やすための人為淘汰以外の何物でもない。

 ということで出産に規制は必要なんだけど、リベラル派の中にはこういう類の強制を嫌う人が多いみたいだ。でも考えてみて欲しい。どんな人も銀行強盗をする自由は認めないよね。そんな自由を認めたら、ほぼ全員がひどい目にあうから。自由の中には規制されるべきものがある。そしてそれを規制することは、実際には全体で見たときの自由を増やすんだ。さっきの例で行くと、私たちが銀行を利用する自由を持つのは、銀行強盗の自由を否定しているからだ。過剰人口は多くの不自由を生み出す。それよりは生殖の自由の制限を受け入れるべきだ。

(終わり)




 いかがだったでしょうか。コモンズの悲劇ってのはゲーム理論の印象が強いんですが、実際には人口抑制の必要を主張する論文です。現在先進国は少子化ですが、途上国ではいまだに人口増加が続いています。この論文が出たのは1968年ですが、過剰人口はいまだに大問題です。筆者が主張するような強制的手段が必要なのかもしれません。
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