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神の不在証明1 祈ってみよう

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神の不在証明1 祈ってみよう

http://godisimaginary.com/i1.htm

 どうすれば神は空想であると証明できるだろう。一つの方法として、神の定義(訳注:全知全能であり、愛である)と現実世界で私たちが体験する「神」の矛盾を見つけるというのがあるだろう。

 跪いて神にこのように祈るとどうなるだろう。

 全能であり、愛であり、この宇宙の創造者である神よ。今夜地球上の全ての癌患者を治してください。私たちはあなたがマタイ福音書7:7、マタイ福音書17:20、マタイ福音書21:21、マルコ福音書11:24、ヨハネ福音書14:21-14,マタイ福音書18:19、ヤコブ書5:15-16で述べられたように、私たちを祝福してくださると信じています。アーメン

 この祈りは真摯なものだ。神がこの、心からの、利他的で、非物質的な祈りに答えれば、神の栄光を世に知らしめ、数百万の人々をはっきりした形で助けることができるだろうことははっきりしている。

 さて何か起こるだろうか。もちろん起こらない。

 これは奇妙なことだ。イエスは祈りがどのように働くかについて、聖書で特別な約束をしている。イエスは聖書の多くの箇所で、彼と神が祈りに答えると述べているのだ。そしてキリスト教徒はイエスを信じている。調査によると54%のアメリカ人は、聖書が文字通りの真実だと考えているのだ。ある地域では、この数字は75%にまで跳ね上がる。
 
 もし聖書が文字通りの真実なら、何か非常に不都合なことがおきる。単純に事実を見てみよう。マタイ福音書7:7でイエスはこう述べている。

「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。だれでも求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなた方のだれが、パンをほしがる自分の子供に石を与えるだろうか。魚をほしがるのに蛇を与えるだろうか。このように、あなた方は悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。ましてあなた方の天の父は、求める者に良い物をくださるに違いない。」

 「誰でも求める者は受ける」なら、癌が治ることを求めれば治るのではないだろうか。「天の父は、求める者に良い物をくださる」なら、彼に癌を治すように求めれば、治るのではないだろうか。しかし何も起きないのだ。

マタイ福音書17:20でイエスはこうも言っている。

「からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって『ここから、あそこに移れ』と命じても、その通りになる。あなたがたにできないことは何もない。」

 「あなたがたにできないことは何もない」なら、癌が今夜治癒するように求めれば、癌は消えるのではないだろうか。しかし何も起きない。もしここで聖書より現実を重視するなら、「あなたがたにできないことは何もない」は、「あなたがたにできないことは数多くある」に変わってしまう。そうするとイエスは嘘をついていることになるのだが…

マタイ福音書21:21

 「はっきり言っておく。あなた方も信仰を持ち、疑わないならば、イチジクの木に起こったようなことができるばかりではなく、この山に向かい『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。信じて祈るなら、求める物は何でも得られる」

 「求める物は何でも得られる」なら、今夜癌が治癒するように頼めば、癌は消えるのではないだろうか。しかし何も起きない。ここからわかることは、「何でも得られる」という言葉を「何も得られない」や「ほとんど得られない」と解釈しない限り、聖書は文字通りの真実とは言えないということである。

訳注:聖書からの似たような引用と文章がここからもだらだら続くが、長いので省略

 祈りに関するイエスの聖書での保証ほど、単純ではっきりしたものはない。にもかかわらず、癌が消滅するように祈っても、何も起きないのだ。

 そしてここで祈りについて述べているのはイエスだということを、頭に置いてほしい。これらの言葉は人間のものではなく、受肉した(訳注:イエスはキリスト教では、神が肉体をもった姿とされる)神自身の言葉なのだ。イエスは完全であり、あらゆる罪から自由な存在とされている。しかし明らかに、イエスは嘘をついている。イエスの言葉は明らかに正しくない。

 さらなる証明がほしければ、信心深い人々をたくさん集め、円陣を組んで祈ってもらうといい。彼ら全員に、イエスの名において地球上の全ての癌を明日治すよう、神に祈ってもらうのだ。彼らは信仰をもっており、彼らの祈りは真摯で、利他的で、非物質的なものだ。イエスないし神はこの祈りに答えるだろうか。

 もちろん答えない。聖書でのイエスの約束に反し、祈りは答えられないまま虚空に消える。実際、あなたが何であれ不可能なことについての祈りを行った場合、その祈りが天に通じることはない。

 あなたが知的かつ理性的な人間なら、上の例から聖書の神は空想であるとわかるはずだ。聖書は神は祈りに応えるとはっきり述べている。しかし、実際に祈りを行っても何も起きないのだ。イエスが祈りについて聖書ではっきり述べたことは、真実ではない。ここから下の二つのうち、どちらかが言える。

1,神は空想である。

2、神は存在するが、祈りには応えない。

 しかし2はありえない。神は聖書(訳注:神自身の言葉!)により、祈りに応える存在であると定義されているからだ。現実の神と定義されている神の違いは、神が空想であることを証明する。



管理人コメント
 これは「祈りに応える神」の否定であって、神全般の否定ではないよね。個人的には神なんてのはもともと人間の理解を超えた存在なので、人間の祈りなんかにはいちいち応えないんじゃないかと思う。だからこの文章は、聖書の否定にはなってるけど神の否定にはなってない気がする。
 
 
 
 
 

 

 











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