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神の不在証明3 キリスト教と古代の異教

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神の不在証明3 キリスト教と古代の異教

http://godisimaginary.com/i3.htm

 「神」への信仰は歴史上に遍在している。

 例えば古代エジプト人はピラミッドのような巨大な建造物を作るほど、彼らの神を深く信仰していた。ピラミッドは今日でも、もっとも大きく最も古い建造物の一つだ。彼らの熱意にもかかわらず、今日の私たちはエジプト人の神が完全に想像上の存在だったことを確信している。彼らの神が存在した証拠はない。そのため私たちはもうピラミッドを建てないし、指導者をミイラにしたりもしない。

 もう少し新しい時代の話をすると、私たちは数千万のローマ人がゼウスとその仲間たちを崇拝していたことを知っている。彼らはそのために壮大な神殿を建てた。これらの神殿の遺跡は、今日では人気の観光スポットになっている。しかし私たちは、彼らの神が想像上の存在だったことを知っている。ゼウスが存在するという証拠はどこにもないし、今ではゼウスを拝む人はいない。

 さらに近い時代の話では、アステカ人は彼らの神々を強烈に信仰しており、巨大な神殿やピラミッドを建設した。そして彼らは、16世紀という最近まで、数百人の人間を彼らの神の生け贄としていた。このような熱烈な信仰にもかかわらず、私たちは彼らの神が完全に想像上の存在だったことを知っている。アステカ人が彼らの神のために人を殺していたのは、今にしてみれば狂気としか言いようがない。人を殺すことは、降雨その他の何に対しても影響を与えないのである。そして当然ながら、アステカの神が存在することを示す証拠はどこにもない。もしアステカの神々が現実の存在なら、私たちは今でも彼らに生け贄を捧げているだろうし、その生け贄は効果を発揮しているだろう。

 今日の「神」はこれら歴史上の神々と同じく、想像上の存在である。神に祈ることは何の意味もない。

 キリスト教徒が崇拝する「神」と「イエス」は、実際には古代の異教の神々の混合物である。「処女懐胎」、「岩の墓への埋葬」、「三日後の復活」、「聖餐」(訳注:いずれもキリスト教の教義)は実際にはイエスと何の関係もない異教の産物なのだ。キリスト教の儀式の全ては、人間が作ったものだ。キリスト教は数十の異教の上を転がって巨大化した雪玉であり、改宗者に受け入れられやすくするために、多くの異教の儀式や信仰を取り入れている。最近このような記事を目にすることがあるだろう。

・キリスト教の体系に異教の痕跡があることは、否定できない。エジプトの太陽の円盤は、カトリックの聖人の後光になった。女神イシスが奇跡によって授かった息子ホルスを抱くところを描いた岩壁画は、イエスを抱くマリアの像の青写真である。そしてカトリックの儀式のほとんど全てが、それ以前の異教からとられたものだ。。

・キリスト教にオリジナルのものは何もない。キリスト教以前の神であるミスラ(神の子、世界の光と呼ばれた)は、12月25日に生まれ、岩の墓に埋葬されてから三日後に復活した。ついでながら、12月25日はオシリス、アドニス、ディオニソスの誕生日でもある。ヒンズー教の神クリシュナは生まれたとき、金、乳香、没薬を与えられた(訳注:イエスは生まれたとき、東方の3賢人からこれと同じ物を与えられたとされる)。キリスト教の祝日すら、異教から盗用したものだ。

 この記事(http://en.wikipedia.org/wiki/Jesus_Christ_in_comparative_mythology)は、イエス キリストがヘレニズム文化の他の神、特にディオニソスのパロディーであることが19世紀以来注目されてきたと指摘している。記事ではさらに、キリスト教とそれ以前に存在した宗教の、著しい類似を立証している。

 キリスト教徒がこの事実を受け取るのは非常に困難だろうが、事実は事実である。キリスト教の「聖なる儀式」や、キリスト教の核となる考え(処女懐胎、復活その他)は、イエスの時代に存在した他の宗教から来たのだ。キリスト教の起源についての基本的な事実を理解すれば、その儀式や考えが馬鹿げていることは明らかだろう。

 キリスト教のもとになった他の宗教の神が、想像上の存在だったのは明らかだ。ホルス、ラー、ミスラなどの神々が現実の存在なら、私たちは彼らが存在する証拠を持っているだろうし、彼らを崇拝しているだろう。私たちの「神」や「イエス」は、これら先駆者の変形版に過ぎない。よって神は空想である。

管理人コメント
 一神教徒は自分の神の存在は確信してるけど、他の神は偽物だと考える傾向が強いみたい。日本人である管理人は、原文の作者と同じく異教の神とキリスト教の神を同列に考えてるけど、たぶんキリスト教徒から見たら、それはひどい冒涜行為なんだろうと思う。その意味でこの章は、一神教を信じてる人には衝撃的だろうけど、普通の日本人にはそれほどでもなかったりする。
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