忍者ブログ

海外ゲテモノ情報

管理人が見つけたおもしろい海外サイトを翻訳するブログ。

神の不在証明31 宗教という迷信

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

神の不在証明31 宗教という迷信

原文:http://godisimaginary.com/i31.htm

 あなたが世界的なニュースのネットワークを創り出し、毎日地球上で起こる説明のつかない悲劇全てを観察することが出来たとしよう。

・全ての殺人
・全ての交通事故
・全てのレイプ
・全ての後遺症が残る傷害
・全ての拷問
・全ての流産と死産
・全ての病気
・全ての飢餓
・全ての破壊
・全てのテロ

 これらのニュースすべてが、あなたにリアルタイムで送られてくるとしよう。

 このようなニュースには10分も堪えられないだろう。数千の悲惨で胸をえぐるような出来事が、毎分あなたに突きつけられるのだ。そんなものを見せられたら、吐けるだけのものを吐いた後、絶望してベッドにうずくまるのが落ちだ。

 言い換えると、この世には悲惨と苦悩が、言葉では言い表せないほどの量存在するのだ。

 一方で、パサデナには神が願いをかなえると固く信じている主婦がいて、お気に入りのブラウスからマスタードの染みがとれますようにと、神に祈ったりしている。彼女は染みを何とかしてくれるよう神に祈った後、ブラウスを洗う。すると染みは取れている。イエスを称えよ! アメリカには、神がこのような日常の些細な祈りに応えると固く信じている人が数千万人いる。彼らは自分が神と個人的な関係を保っており、神は毎日自分の祈りを聞いていると信じている。そして神は地上に降りてきてマスタードの分子を一つ一つ取り除けるほど、暇だと信じているのだ。彼らはそれを本心から信じている。

 まったく不思議だと思わないだろうか。神にこんな些細な祈りに応える時間があるとすれば、なぜ毎日地上で起こっているずっと深刻な問題に対処する時間はないのだろう。

 私たちが住む世界をあるがままに見てみよう。私たちの周りには、殺人者、レイプ犯、児童虐待者、テロリストなどがうろついている。彼らはどのように自らの所業を行うのだろう。もし神が全知で祈りに応えるなら、私たちは次のことを信じなければならない。

・神は彼らが毎日何百万という殺人、レイプ、虐待、テロなどを行うのを見ているが、それを止めるために何もしていない。
・神は犠牲者が、殺され、レイプされ、虐待され、脅迫されるのを見ているが、彼らを救うために何もしていない
・神は殺人、レイプ、児童虐待、テロがなくなるようにという祈りを完全に無視しており、このような惨事が起こるに任せている。

 神の標準的なモデルでは、神は全知全能で愛であり、祈りに応えるとされている。壮大な玉座に座って天から地上を眺めている神が、地上で起こる全てを見ながら次のような言葉を発しているところを想像して欲しい。
 収容所で拷問を受けながら必死で祈っている人々を見てみよう。すばらしい! 私はそれを止めるために何かをする気はない。そしてレイプされて殺されている幼い少女を見てみよう。完璧だ! 彼女は狂ったように祈っていて彼女の母親もそうしているが、私はそれを止めるために何かをする気はない。そして3人のテロリストが教会を爆弾で吹っ飛ばして、今私に祈りをささげている1500人の人々を殺そうとしている。いいね! 私はそれを止めるために何かをする気はない。今日エチオピアで、1000人の敬虔な人々が飢えで死ぬことになっているのは、なんとすばらしいことだろう。こういう場面は大好きだ。私はそれを止めるために何かをする気はない。あっ、スージー・ジェンキンスが明日はチャドとデートなので、鼻にできたニキビがなくなるように祈っている。さてとスージーを助けてやるか。

 あなたはこのような行動を取る神を信仰するだろうか。もちろんしないだろう。神があなたの祈りに応えるために特別に地上に降りてきて、ニキビを取ったり、マスタードの染みを洗い流したり、なくした鍵を見つけたりしてくれる一方、毎日飢えで死んでいく27000人の子供の祈りは無視し、彼らが死ぬに任せているとすれば、そのような神は狂っている。あなたの神がどれだけ狂っているかについては、証明6と証明22を見て欲しい。

 しかし、あなたが典型的なキリスト教徒なら、パサデナの主婦となんら変わらない。あなたは毎日数十のくだらない祈りを発しているはずだ。あなたは今日も、これら20の些細な祈りを行ったかもしれない。

・朝、車がちゃんと発進するようにという祈り
・職場に時間通り着くために、信号が都合よく変わるようにという祈り
・バッグについたコーヒーの染みが消えるようにという祈り
・雨が降りませんようにという祈り
・株価が上がりますようにという祈り
・コンピューターが故障しませんようにという祈り
・子供が数学でいい点を取りますようにという祈り
・当座預金に十分な残高がありますようにという祈り
・土曜日にデートした異性が電話をかけてきますようにという祈り
・姑が週末の訪問をキャンセルしますようにという祈り
・コインランドリーの機械が空いていますようにという祈り
・車が車検を通りますようにという祈り
・モールで買おうとしている靴に、自分にあったサイズがありますようにという祈り
・開けた封筒に、手形ではなく小切手が入っていますようにという祈り
・猫がソファーに糞をしませんようにという祈り
・赤ん坊が夜泣きをしませんようにという祈り
・EBayでカメラを落札できますようにという祈り
・レンタルビデオ店にお目当てのビデオがありますようにという祈り
・応援しているスポーツチームが勝ちますようにという祈り

 何が起こるだろう。あなたの祈りのいくつかは「応えられ」、いくつかはそうでないだろう。あなたが信者なら、それぞれの小さな祈りについて次のように考えるはずだ。

・何かいいことがあれば、それは神のおかげだとする。神はあなたの祈りに応え、あなたを「見守って」いるのだ。

・何かを祈ってもそれが起きなかったり、何か悪いことが起きたりすれば、それは神の計画(証明6参照)だとして正当化する。悪いことがおきたのは「神の意思」なのだ。

 神の計画という概念がばかげていることは証明6で示した。ならば何が起きているのだろう。偏見のない観察者なら、良かったり悪かったりする出来事を観察して、それをあるがままに見るだろう。偶然の出来事である。神はそれに何の関与もしていない。偏見のない観察者には、宗教が迷信以外の何物でもないことは明らかだ。

 あなたが信者なら、良いことも悪いことも偶然でしかないことを確かめてみるべきだ。明日何も祈らずに、上にあげた20の些細なことがどうなるかを見てみればいい。うまく行くものもあれば、行かないものもあるだろう。祈ったときと何の違いもない。それらについて祈ることは、結果を変えはしないのだ。祈りを統計的に解析すれば(証明2参照)、全ての「応えられた」祈りが偶然であることは明らかだ。

 祈りの効果についての信仰は、他の迷信とまったく同じだ。はしごの下を歩くと「縁起が悪い」などということはない。鏡を割ったり黒猫を見たりするのもだ。割れた鏡が人生に何の影響も与えないことは、統計的に証明されている。同じように、神が祈りに応えないことは統計的に証明されている。

 辞書は「迷信」という言葉をこのように定義している。
 論理的に考えてその出来事に何の関係もない物、行動、環境が結果に影響を及ぼすという不合理な信念
 祈りは迷信であり、それ以上のものではない。祈りの力を信じている人は、水晶球や星占いや幸運をもたらすウサギの足の力を信じている人と変わらない。祈りが無意味であることは科学的に証明されているのだ。

 この世にこれほど多くの苦しみが存在し、あなたの些細な祈りを統計解析すれば完全な偶然という答えが出るのは、神が空想だからだ。神への信仰は純粋な迷信なのだ。
PR

コメント

プロフィール

HN:
susc
性別:
非公開

P R