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神の不在証明47 創造説を考える

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神の不在証明47 創造説を考える

原文:http://godisimaginary.com/i47.htm

 ほとんどのキリスト教徒は宇宙、特に地球上の生命を眺めたとき、それが「還元不可能な複雑性」を持つという結論に達する。キリスト教徒の見方によると、宇宙や生命体のような複雑なものが存在するには、それを創造する知的な存在が必要なのだ。キリスト教徒の言い分をまとめると、下のようになる。
生命のすばらしさと精密さを見てほしい。人間の目や脳の複雑さを見てほしい。人間の目や脳のような複雑なものが、混沌から自発的に出現するはずがない。時計が時計職人なしでは存在し得ないように、このような複雑なものは知的な創造者なしでは存在し得ない。


 つまりここで答えるべき質問はこれだ。

複雑な生命は自発的に発生しうるか、それともその出現には創造者が必要か?


 キリスト教徒は創造者の存在は不可欠だと信じている。科学者は「創造者」という考えは純粋に神話の世界に属するもので、複雑性は進化のような自然のプロセスによって創り出されると信じている。どちらが正しいのだろう。

 ちょっとした論理を使えば、この質問には答えることができる。選択肢は2つだ。

1,宇宙や生命の複雑さは何らかの知性が介入することなしに、完全に自発的に出現した。私たちが今日見ることができる複雑性は、自然が創ったものだ。

2,複雑性の創造には知性が必要である。従って今日見ることができる複雑性は、知的な創造者によって創られたものだ。

 一つ目の選択肢の利点は、それだけで完結していることだ。複雑性は自発的に出現したものであり、他の説明を必要としない。

 二つ目の選択肢の問題点は、そもそも自己矛盾していることだ。複雑性が知性なしに発生し得ないなら、こんな疑問がわいてくる。「誰がその知的な創造者を創ったのだろう?」。複雑性の出現に知性が必要なら、明らかに非常な複雑な存在である創造者は出現することができない。つまり、神の存在は不可能ということになるのだ。
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