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ダーウィン賞 ビル パジェット

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ダーウィン賞 ビル パジェット

①1878年の6月31日月曜日、ビル パジェットは勤務していた農場の雇い主のチャールズ マーシュマンに向かって、装填されたライフルの引き金を引いた容疑で裁判にかけられた。捜査によるとパジェットは前の木曜日にマーシュマンと口論になり、ライフルを彼に向けて引き金を引いたが、火薬に火がつかなかった。マーシュマンはパジェットを棒と拳でさんざん殴りつけ、パジェットは森に逃げた。パジェットはもともとハンサムというわけではなかったが、警官に発見されたときには彼の顔はロバに思いっきり蹴られたような有様だった。
 捜査の結果、パジェットはライフルに弾が入っていることを知らなかったということが分かった。マーシュマンがパジェットに知らせずに、弾を込めていたのだ。これにより、判決は無罪となった。

 ②ジェームズ パジェットとビル パジェットはその街の最初期の定住者であり、後に彼らにちなんだ名前がつけられることになる道路の近くに住んでいた。熊の罠というのが、その道路の名前である。この名前は次のような理由でついた。彼らの隣人が、道路の近くに罠を仕掛けていた。この罠は動物がそれに触れると巨大な丸太が落下し、動物を下敷きにするというものだった。ビル パジェットはある朝、罠がちゃんと仕掛けられているかを一人で点検していた。結果として、ちゃんと仕掛けられていたことは分かった。罠は正確に作動し、この不運な男は丸太の下で動けなくなったのだ。数時間経ってから救出されたパジェットは、水を飲ませてくれと頼んだ。隣人は近くの通りから、水を運んできて彼に渡した。彼は水を飲んだ後すぐに死んだ(訳注:丸太その他の下敷きになって内蔵が損傷している場合、水を飲ませるのは禁物)。通りはこの事故にちなみ、熊の罠と呼ばれるようになった。1887年のことである。

http://www.darwinawards.com/darwin/darwin1993-05.html


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