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来世なんてどうでもいい

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来世なんてどうでもいい

仏教やヒンドゥー教の明確な信者じゃなくても、輪廻転生を信じてる人ってのは結構いるんじゃないかな。現世で悪いことをすれば来世では動物に生まれ変わり、いいことをすれば来世では上流階級に生まれ変わる。そして現世で起こることは、前世の罪や功績によるものだってわけだ。そしてここから、現世で功徳を積もうとする考えが生まれてくる。管理人はこういう考えはかなり不可解だと思う。管理人はそもそも輪廻転生なんて信じてないけど、もし本当だったとしてもそんなことはどうでもいいと思うんだ。


 輪廻転生でイメージされるのは、死ぬと魂が体から抜け出て、それがたった今誕生しつつある別の体に入っていく光景だ。そして魂の持ち主がやったことによって、どんな世界のどんな体に魂が配属されるかが決まるってわけだ。そして輪廻転生を信じる人は、来世で望ましい世界の望ましい体に入るために、現世で功徳を積もうとする。

 でも考えてみて欲しい。来世なんてどうでもよくないか。来世に行くのは魂だけで、あなたの記憶も性格も知識も持っていけないんだよ。えっ、持っていけないと何故決め付けるかって? 私たちが前世の記憶を持ってないという事実だけで、そう決め付けるに十分だと思う。さらに言っとくと、動物に転生した場合は絶対に人間としての記憶も性格も保てないのは明らかでしょ。管理人がこんな文章を書いた罪でハエに転生したとして、そのハエがかつて自分は人間でブログを書いてたことを思い出すわけがない。ハエの脳味噌は芥子粒一つほどの大きさもないんだから。

 記憶や性格や知識を持っていけないってことは、来世であなたの魂を受け継いだ存在(人間か動物か、はたまた天人か)は、あなたとは赤の他人だってことだ。その存在とあなたは魂を共有してるだけで、他の共通点は何もない。とすれば、そんな存在のことを気にかける必要なんてないんじゃないの。

 管理人が言いたいのは、「魂ってのはそんなに大事なのか」ってことだ。魂があなたや私の生命の源だとして、それの行く末なんてそんなに気にかける必要があるとは思えないんだ。大事なのは魂じゃなくて人格でしょ。私たちが死を恐れるのは、要するに自分の人格が消滅することを恐れるからだ。「今から植物状態になって50年後に死ぬ」は、「今すぐ死ぬ」と同じくらい嫌でしょ。死後に魂が生き残って別の体に行ったとしても、人格が消滅してしまうなら、本人にとっては全部が消滅したのと何の違いもない。ましてや、魂がその後どこに行こうが、それを気に掛ける理由なんてないはずだ。まっ、気に掛けたくても死んでんだから掛けられないんだけどさ。

 要点を整理しよう。輪廻転生があったとしても、来世に私と同じ人格が出現するなんてことはない。ということは来世の私(の魂を受け継いだ存在)は、現世の私とは何の関係もない。ここから、来世がどうなろうがどうでもいいということが言える。これが輪廻転生に対する管理人の考え方だ。

 誤解しないで欲しいんだけど、現世で功徳を積もうとすること自体は悪いことじゃない。その人が考える功徳がどんなことかにもよるけどね。ただ輪廻転生みたいな怪しげな教義を動機としてそうするのはどうかと思うだけだ。この教義は差別や弱者切捨ての正当化(今あなたが不幸なのは、前世で悪行を重ねたからです)に使われることもあるし。
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