原文
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キリスト教徒の結婚式に参加したことがある人なら、結婚が重大な契約であることが分かるだろう。司祭か牧師がカップルの脇に立ち、聖書を読み上げて祈りを捧げる。儀式は教会、すなわち神の家で行われ、数十人から数百人が立会人として参加する。二人は神、神の代理人、多数の立会人の前で「死が二人を分かつまで」結婚生活を続けると宣言するのだ。
またキリスト教信仰は離婚を著しい不名誉としている。例えばマタイ福音書5:32でイエスはこう言っている。
しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。
イエスは同福音書の19:9でも同じことを言っている。
そこでわたしはあなたがたに言う。不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである。
姦淫というのはキリスト教信仰では重大な罪である。まず十戒のうちの一つは特に姦淫を禁じている。さらにレビ記の20:10ではここまで言い切っている。
人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者があれば、その姦夫、姦婦は共に必ず殺されなければならない。
不貞を行ったものは死刑に処されるのだ。明らかに神とイエスは、キリスト教徒のカップルが生涯にわたって結婚生活を送ることを望んでいる。
さて、振り返ってみよう。キリスト教徒のカップルが結婚するとき、下に示す10の力が彼らの結婚生活を維持するはずである。
1.結婚は神の前で行われる
2.結婚は神の家で行われる
3.結婚は神の代理人(司祭や牧師)の前で行われる
4.結婚は多数のキリスト教徒の立会人の前で行われる
5.カップルはおそらく、結婚前も結婚後も結婚生活がうまく行くように祈りを捧げている
6.立会人たちもそうである
7.司祭や牧師もそうである
8.カップルは離婚や再婚が姦淫に等しいと知っている
9.姦淫は神が禁じている
10.聖書では姦淫する者は死に値するとされている
さらに儀式のこの重要な台詞を忘れてはならない。
神が結びつけたものを引き離すことはできない。これについて考えてみよう。神は全知全能の宇宙の創造者である。神が何かを結びつけたのなら、それが壊されることなどあるはずがない。「全能」というのはそういう意味のはずである。
これら全ての事実がある。そして全能で祈りに応える神がキリスト教徒のカップルの生活を見守っているであろうという事実もある。そこから推測されるキリスト教徒の離婚率は、どういう値になると考えられるだろうか。明らかに、
0というのが妥当な応えになるはずだ。
しかしアメリカの夫婦の離婚に関する統計を見て、キリスト教徒と非キリスト教徒の離婚率を比較してみると、奇妙な統計学的事実が発覚する。なんとキリスト教徒の離婚率は、それ以外の国民の離婚率と変わらないのである。夫婦がキリスト教徒であるかは、離婚率と何の関係もないのだ。それどころか
この記事によると、「『再生派キリスト教徒は他の集団より離婚を経験しやすい傾向にあるという発見は議論を巻き起こすだろうが、確かにこのパターンは顕著によく見られる。』とGeorge Barna率いる調査チームは語る」とのことだ。データを細分化する方法は無数にあるが、どのようにデータを分けようとも、キリスト教徒の離婚率はせいぜい他の集団と同じくらいであることは容易に分かる。
キリスト教徒が非キリスト教徒と同じくらいの離婚率を示す理由は明らかだ。神が空想だからである。
管理人コメント
そもそも神が結婚みたいな些細なことを重視すると考えること自体おかしい。この宇宙の創造者が、宇宙のスケールを考えれば本当にちっぽけな存在である人間同士の共同生活が、ちゃんと続くかなんてことを気にかけるわけない。管理人は神がいたとしても、人間の存続ないし絶滅に注意を払うかさえ怪しいと思う。人間なんぞ宇宙の片隅の小さな惑星に、宇宙の年齢からすれば一瞬前に現れた生命体に過ぎない。そんな生命体一つ一つの生活を、宇宙の創造者が監視しているなんて思うのは思い上がりも甚だしい。