管理人からのお断り
証明44はこれまでに出てきた話ばっかりだったので、飛ばして証明45を紹介します。それと聖書からの引用は、今回から管理人が英文から訳した文になってます。これまでの引用に比べて、くだけた表現になっているのはそのせいです。一応、一般の聖書より分かりやすい訳を心がけたつもりなので、そう感じていただけるとうれしいです。
原文:
http://godisimaginary.com/i45.htm
聖書のノアの洪水についての話を読んだことがあるだろうか? 読んだ人はこの話の実際の意味について考えたことがあるだろうか? 多くの人がノアの洪水を含む聖書の物語を文字通りの真実と考えているが、ちゃんと教育を受けたまともな人間はこの話を単なる神話とみなしている。エベレスト山の山頂が水に浸かった形跡はないし、一隻の船が地球上に存在する数百万種の動物を運ぶことはできないし、地球上の全ての動物が数千年前の一つがいの子孫だということを示すような、遺伝的証拠もないのである。
だがまあそれはいい。問題なのはこの話が意味するところである。つまり、このような行動を取る神とはどういう存在なのかということなのだ。なぜならこの話が意味するのは、
神とは数百万の人間と数十億の動物を、意味もなく殺すような存在である、ということだからだ。
なぜ「意味もなく」と言えるのかというと、神は「全知全能」とされているからだ。全知全能の神は、アダムとイブを作れば何が起きるかを知っていたはずだ。従って、神は彼らを創造したとき、その子孫数百万人を自分が殺すことになると分かっていたはずなのである。
この事実を考えると、明らかな疑問がわいてくる。何故神は洪水を起こす前に、イエスを地上に出現させて人間の罪を償わせなかったのだろう? あるいは何故神はアダムとイブを作ったとき、彼らの性格をもう少しましなものにしなかったのだろう?
平均的なキリスト教徒はこんな疑問を持ったことはないだろうが、本当に重要なことだ。ノアの洪水は地球規模の大量殺人であり、実話とすれば有史以来最大規模の残虐行為だからだ。
キリスト教徒がこのような大量殺人者に祈りを捧げているという事実は、彼らの性質について不安を抱かせるに十分である。考えても見て欲しい。キリスト教徒の神は地球上のほぼ全ての人間を、その行状が気に食わないという理由で抹殺したのだ。ヒトラーより邪悪である。地球規模で民族浄化を行った大量殺人者を、「慈悲深い」あるいは「完璧」と呼ぶことなど、どうして出来るだろうか? にもかかわらず、キリスト教徒は彼を崇拝しているのだ。何故だろう?
あなたがもしキリスト教徒なら、今から真剣に考えてほしい。なぜあなたは大量殺人者を、自分の人生の支えとしているのだろう?
そして神が意味もなく人を殺しているのは、ノアの洪水のときだけではない。神のおぞましい性格を現すエピソードは他にいくつもあるのだ。
出エジプト記の12:28には、神は自分の初期の虐殺のひとつについてこう書いている。
イスラエル人は主がモーゼとアロンに命じられたようにした。そして深夜、主はエジプトのういご(訳注:最初に生まれた子)を王の子から奴隷や囚人の子、さらには彼らの家畜の子にいたるまで皆殺しにした。ファラオとその臣下、そして全てのエジプト人はその夜目を覚まし、彼らの嘆きがエジプト中に響いた。誰かが死ななかった家は一つもなかった。
イザヤ書では神はこのような言葉を残している。
(バビロニア人の)捕虜は剣で刺し殺される。捕虜の子供は彼らの目の前で、地面にたたきつけられる。彼らの家は奪われ、妻は犯される。私(神)はメデア人をバビロニア人に向かわせる。金や銀を持ってしても彼らを買収することは出来ない。メデア人は若者を射ち殺し、赤ん坊や子供にも情けをかけない。
これが「慈悲深い」神が残した記録だろうか?
エレミヤ書の49でも、神は似たようなことをしている。
これが主がエドム、及びテマンに住む者に対して行うことである。彼らは子供にいたるまで連れ去られ、その運命におびえることになる。彼らが地に倒れ、残りのものがそれにおののき、泣き叫ぶ様は紅海からでも聞こえるだろう。
ホセア書の13にも似たような記述がある。
サマリアは神に逆らった罪を償わなくてはならない。彼らは剣によって倒され、彼らの子は八つ裂きにされ、妊婦は腹を裂かれる。
さらに民数記の31
モーゼは彼らに言った。「女を生かしておいたのか? それは神への裏切り行為であり、そのためにイスラエルには疫病が蔓延している。今から子供のうち男は全て殺し、男を知っている女も全て殺せ。だが男を知らない女は、奴隷として生かしておけ」
ここでモーゼは神の代理人として、数千の男児および女性を殺せと明確に述べている。民数記の35によると、このとき生きて連行された男を知らない女性は3万2千人。ここから類推するに、少なくとも数万人の男女と子供たちが虐殺されたようだ。
申命記の3にはこのような記述がある。
我々がバシャンへの道を進んでいると、バシャンの王オグがその軍を全て率いて我々の行く手に現れ、エデレイで会戦になった。主は言われた「恐れるな。私はオグの軍と土地の全てはお前たちの手の中だ。ハシュロンのアモリ人を治めていたシホン王にしたのと同じことを行え。」こうして主はオグの軍と土地を我々に渡された。我々は彼らを打ち破り、皆殺しにした。そのとき我々は彼らの町全てを奪った。バシャンの王オグの納めていた60の町全ては我々のものになった。これらの町には高い壁と門と柵があった。さらに我々は城壁のない村も全て手にした。我々はハシュロンの王シホンに対して既に行ったように、これら全てを破壊した。我々は町全てを滅ぼし、男、女、子供を全て殺したが、彼らの家財と家畜は破壊せずに持ち去った。
彼らは神の命令に従い、60の町の住人を皆殺しにしたようだ。
「新約聖書」においてさえ、似たような記述を発見することが出来る。マタイ福音書の2では、イエスの誕生の際に数千の子供が殺されたとされているのだ。 彼ら(東方の3賢人)が家に入ると、そこには幼子とその母マリアがいた。彼らは幼子を伏し拝み、金、乳香、没薬を捧げた。そのあと彼らは神の警告にしたがい、ヘロデのところには戻らずに、他の道を通って自分の国へと帰っていった。彼らが去った後、主の使いが夢でヨセフにこう告げた。「ヘロデ王が幼子を探し出して殺そうとしているから、妻子を連れてエジプトに逃げなさい。そして私が知らせるまでそこにとどまっていなさい。」。ヨセフはそこで目を覚ますと、夜にも関わらず家を出て、妻子と共にエジプトに向かった。そしてヘロデが死ぬまでエジプトにとどまった。これは主が預言者に下された「私はエジプトからわが子を呼び出す」という予言を、成就させるためであった。一方東方の3賢人に欺かれたと悟ったヘロデは激怒した。東方の3賢人はベツヘレムの幼子がイスラエルの王となると言っていたので、ヘロデは軍を送ってベツヘレムおよびその近郊にいる2歳以下の子を皆殺しにした。こうして預言者エレミヤの予言が成就した。
この虐殺で赤ん坊を奪われた数千の家族について考えてみてほしい。聖書には彼らの悲しみについて、「嘆きの声が響き、彼らを慰めることはできなかった」と書かれている。もちろんそうだろう。あなたに子供がいるなら、ある日家を訪れた政府の人間に子供を殺されれば、どんな気分になるかは想像が付くだろう。
何故神はこんなことをしたのだろう? しかも予言を成就させるなどというくだらない理由のために。こんなおぞましい存在に対して何かを期待するなどということができるだろうか? こんな存在を信仰する人々については、正直何を言えばいいか分からない。道徳をわきまえた正常な人間が、このような邪悪で卑劣な「神」を「崇拝」するという事実をどう考えたらいいのだろう?
「完璧」で「慈悲深い」存在が、同時に「邪悪」で「卑劣」であることなどありえない。知性が少しでもあれば分かることだ。この矛盾は「神」が空想に過ぎないことを示している。
(終わり)
管理人
今回かなり危ない感じですね。フランスのテロとかもあったし、公開して大丈夫なのかな… これ。まあ原文の著者は今月に本まで出してるので、たぶん大丈夫なんでしょうけど。