原文:http://godisimaginary.com/i8.htm
多くのキリスト教徒は臨死体験を、「神」と「死後の生」が存在する証拠と見なしている。この記事(http://en.wikipedia.org/wiki/Near-death_experience)によると、臨死体験は次のような特徴をもつようだ。
・自分が「致命的な」事故に遭い、助からなかったという意識
・体外離脱体験。体から抜け出て、周囲を見渡しているという感覚
・心地よい感覚と穏やかさ
・狭い通路を通って上に向かう感覚
・死んだ知人や霊的な存在と対面する
・光や宗教的な存在と出会う
・人生についての総評を受ける
・体に戻っていく感覚、しばしば戻りたくないという気分を伴う
心臓発作、水難事故、大量出血などは皆、臨死体験を引き起こす可能性がある。
臨死体験をした人は多くいるし、それについての膨大な数の本も出版されている。このたぐいの本は、「スピリチュアル」や「宗教」に関係することが多い。
多くの人が無視しているのは、ケタミンという薬物を投与すれば、死にかけていない普通の人にも臨死体験を引き起こすことができるということだ。言い換えると、臨死体験は人間の脳が引き起こす自然な化学的状態に過ぎない。臨死体験の引き金になるのは、脳の酸素不足だ。科学的な論文を読めば、臨死体験の原因は化学的なものであって神秘的なものでないことが分かるはずだ。
このことは直接神を否定するだろうか。そういうわけではない。しかし臨死体験(多くの人が神と永遠の生の「議論の余地ない」証拠として持ち出す)に、超自然的な意味は何もないということを直接証明してはいる。臨死体験は化学的な副作用であり、多くの宗教信者が主張するところの「死後の生への扉」などではないのである。