忍者ブログ

海外ゲテモノ情報

管理人が見つけたおもしろい海外サイトを翻訳するブログ。

神の不在証明10 教会の献金皿という矛盾

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

神の不在証明10 教会の献金皿という矛盾

原文:http://godisimaginary.com/i10.htm

 教会の献金皿について考えたことはあるだろうか? もし神が存在するなら、何故そんなものが必要なのだ? 聖書によると神は全能であり、祈りに喜んで応えてくれるはずなのだが。

 このことを熟考してみよう。なぜ牧師や助祭は日曜日の朝に集まって、必要な金をもたらすようイエスに祈らないのだろう? なぜイエスはこのような願いに応えないのだろう? なぜ教会は不死にして全能であり、求めるものは何でも与えてくれる神がいるにもかかわらず、死すべき者たちに金銭を請うのだ? 聖職者の行動を見ると、神は次のような考えをもつとしか思えない。

 
どんなことでも私に祈れば、私はそれを聞いて祈りに応えよう。私は聖書のいたるところでそう言ってきた。中でも私のお気に入りのマルコ福音書11:24で言ったように、「あなた方に言うが、何でも祈り求めることは、すでに叶えられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」ということだ。金銭、愛、幸福、あなたに必要なあらゆるものを与えるために、私はここにいる。 

さて、お返しとして必要なものが一つだけある。あなたのお金だ。私にはあなたのお金がたくさん必要だ。聖書に明記されているように、あなたは収入の十分の一を私に渡さなければならないが、これは最低額だと考えてほしい。もっとくれるというなら、いくらでも頂く。
 
 
何故かというと、私は宇宙とそこに含まれるもの全てを創造した者であり、あなたが祈って求めるもの全てを与えることができる者でもあるのだが、教会に1セントたりとも与えることができないからだ。教会の聖職者が献金皿を回してきたら、気前よく寄付してやるのを忘れないでほしい。

 
 もちろん、こんなのは馬鹿げている。

 教会の聖職者が献金皿を回すのは、神が空想だからである。
 

 

PR

コメント

プロフィール

HN:
susc
性別:
非公開

P R