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自殺禁止と神の計画は両立しない

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自殺禁止と神の計画は両立しない

幸福の科学(知らない人はいないと思いつつ、一応説明しとくと非科学的な主張を垂れ流すカルト教団)がこんなことを書いてる。

人は偶然に生まれてくるわけではありません。どの人も、地上での人生計画を立てて、様々な時代や環境を選んで生まれてきます。そして、人生の途上では、各人の魂にふさわしい試練が与えられます。その苦難・困難を「人生の問題集」として解きながら、一人ひとりが魂を磨いているのです。だから、自殺をすると、尊い人生修行を放棄することになり、来世以降に宿題を残してしまうことになるのです。

どーも神ないしそれに類する存在は、一人ひとりに対して人生で何を経験するかの計画を立ててる。自殺はその計画に反する行為だからいけないってことみたいだ。キリスト教もこれと似たようなことを言ってる。しかし、神の計画という概念と自殺の禁止は矛盾する。まず神の計画というものがあると仮定してみよう。例えば神がAさんが80歳まで生きるように計画してたのに、Aさんは40歳で自殺しちゃった、なんてことがあるんだろうか。 

 ちょっと考えておかしいと思わない? 神って言うのはとんでもなく強い力を持った存在のはずだよね。それが立てた計画がたかが人間の意志によって妨げられるなんてことがあると思う?神ってのは「あれ、俺はこいつが80歳まで生きるように計画してたのに、何で40歳で死んじゃったの?」と愚痴をこぼすような存在なの? Aさんが40歳で自殺したとしたら、そもそもそれがAさんに関する神の計画だったから、と考えるほうがどう考えても自然だ。計画をたかが人間の意志や選択によって妨げられるような存在は神と呼ぶに値しない。
 
 これはもうちょっと軽い話にするとより分かりやすい。例えばBさんに関する神の計画が、医者になることだったとしよう。ところがBさんは医者じゃなくて、普通のサラリーマンになってしまった、なんてことがありえるんだろうか。まあないよね。Bさんがサラリーマンになったのなら、それがBさんに関する神の計画だったと考えるほうが自然だ。神はBさんが医者になるよう計画してたのに、Bさんはそれに反してサラリーマンになったのだとしたら、そんな神は非力すぎてお話にならないでしょ。

 えっと、ここでポイントをまとめてみよう。「神の計画」ってものを認めるとしたら、自殺も神の計画に沿った行為だと考えるほうが自然だ。自殺すると神の計画が狂うから自殺はいけないなんてのは、明らかに神を馬鹿にした考え方だ。神が立てた計画が、たかが人間の行動によって狂わされるなんてことがあるわけないからだ。自殺そのものが神の計画だったと考えるほうが、どう考えても自然だろう。よって神の計画を前提とするなら、自殺者は神の計画に従って行動したに過ぎず、非難されるいわれはない。

 さて、話は変わるけど宗教が自殺を禁止する「本当の理由」は、はっきりしている。自殺を認めちゃうと、自殺によって信者の数が減る可能性があるからだ。だから自殺禁止が「神の意思」ってことにしてるだけの話。その証拠に、宗教を広めるための自殺(別名殉教)は、推奨する宗教が多い。

 宗教はいいかげん自殺を禁止したり、自殺者を責めるようなことを言うのはやめたらどうなんだろうか。自殺者は「神の計画に逆らっている」なんて非難を受けるいわれはないはずだ。神の計画なんてものがあるとしたら自殺も神の計画だと考えるほうが自然だ。神の計画なんてものはないとしたら、なぜ自殺が罪なのかが分からなくなる。別に何かをやらせる計画もないのに、この世から退場することは禁止するというのは、「特にやってもらう仕事はないけど、とりあえず会社に残っとけ」という理不尽な指示と変わらない。つまり神の計画があろうがなかろうが、自殺は非難されるべき行為じゃないはずだ。

 

 


  
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