原文:
http://godisimaginary.com/i32.htm
聖書をそのまま読んでも、まったく意味がない(証明5を参照)ことが多いことに気づいたことがあるだろうか。例えばマタイ福音書の17:20でイエスははっきりと、「不可能なことは何もない」と言っている。そしてそれにも関わらず、この声明が真実でないことはあなたにも分かるはずだ。この世の多くのことは事実不可能なのだ。
キリスト教徒にこの矛盾について聞くと、「ああ、なるほど、あなたは聖書を正しく
解釈してないんだよ。
神学者と話をする必要があるね。
神学者は正しい解釈を教えてくれるから」と言うだろう。
全知全能で完全な宇宙の支配者にはっきりとした文章を書く能力がなく、彼が書いた本の内容を理解するためには、人間の
神学者が必要だというのは奇妙なことではないだろうか。完全な神が「不可能なことは何もない」という文を「不可能なことは何もない」以外の意味で書くことなどあるのだろうか。神は人間が文章をどのように解釈するかを知っているはずなのだ。なぜ神は真実を述べなかったのだろう。
神の発言の意味がしばしばはっきりせず、聖書の内容がしばしば間違っており、私たちが
神学者を必要とするのは、神が空想だからだ。神学者と話すと、大体こんな会話を経験することになるだろう。