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そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。
わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである
貧しい者をかえりみる人はさいわいである。主はそのような人を悩みの日に救い出される。主は彼を守って、生きながらえさせられる。彼はこの地にあって、さいわいな者と呼ばれる。あなたは彼をその敵の欲望にわたされない。主は彼をその病の床でささえられる。あなたは彼の病む時、その病をことごとくいやされる。イエスはマルコ福音書の16で祝福について語っている。
信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。 信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、 へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。しかしさらに注目すべきなのは、ヤコブの手紙5:15だ。
信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。これらの言葉は力強い。これらが、全知全能で完全な神による言葉だということを心に留めてほしい。そしてヤコブ書5:15にはまったく曖昧さがない。これらの言葉が正しく完全だとすれば、信仰を持つ人間には健康保険は必要ないはずである。
私が医者に行くと、彼は子宮がんだと告知した。医者によると治療法は子宮摘出だということだった。しかし彼はとりあえず化学療法から始めることを提案した。私の人生の目的は子供を生むことだったので、私は子宮摘出で不妊になりたくはなかった。その日、私はひざまずいて神に奇跡を懇願した。私は聖書の治癒に関する節を全て読み、それらをいつも持ち歩いている索引カードに書き出した。私はこれらの節を暇があれば朗読し、祈りをささげた。信号待ちのときも、夫の帰りを待っているときも。そして何が起きたのかって。神は私を治してくださった。私は化学療法をはじめた。次の訪問で、医者は変化に気づいた。彼は「手術は延期して、経過を観察しましょう」と言った。一年後、医者は癌をもはや検出できなくなり、完全に治ったようだと告げた。私にはそれが、聖書の言葉の力によるものだということが分かった。神は私の祈りに応え、私を治してくださったのだ。
それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。 あなたの宝のある所には、心もあるからである
心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ。そうすれば、あなたの身を健やかにし、あなたの骨に元気を与える。なぜあなたは主を信頼し、主があなたの身を健やかにすると信じているにも関わらず、健康保険に加入しているのだろう。