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神の不在照明34 何故あなたは健康保険に入っているのか

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神の不在照明34 何故あなたは健康保険に入っているのか

原文:http://godisimaginary.com/i34.htm

 質問だ。

 もし神が祈りに応えるなら、なぜ健康保険が必要なのか。

 
単純に考えて欲しい。イエスが聖書で祈りについて語ったことが正しく、信者が書いた本に出てくる医学的な奇跡が真実で、あなたの神への信仰と祈りの力が正しく、神があなたに関して計画を持っているなら、なぜそもそも医者にかかる必要があるのだろう。病気にかかったら、ただ単に神に祈ればいいのではないだろうか。

 こんな質問をするのは、マルコ福音書11:24でのイエスの言葉がとても明快なものだからだ。

そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。

 ヨハネ福音書14:14もそうだ。
 わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである

  これは詩篇41篇の言葉だ。
 貧しい者をかえりみる人はさいわいである。主はそのような人を悩みの日に救い出される。主は彼を守って、生きながらえさせられる。彼はこの地にあって、さいわいな者と呼ばれる。あなたは彼をその敵の欲望にわたされない。主は彼をその病の床でささえられる。あなたは彼の病む時、その病をことごとくいやされる。
 イエスはマルコ福音書の16で祝福について語っている。
 信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。 信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、 へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。  
 しかしさらに注目すべきなのは、ヤコブの手紙5:15だ。
 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。
 これらの言葉は力強い。これらが、全知全能で完全な神による言葉だということを心に留めてほしい。そしてヤコブ書5:15にはまったく曖昧さがない。これらの言葉が正しく完全だとすれば、信仰を持つ人間には健康保険は必要ないはずである。

 完全な神が聖書に偽りを書く理由などあるだろうか。にも関わらず、あなたは健康保険に入っているはずだ。つまりあなたはこれらの言葉のどこかが間違いだと思っていることを、行動で示しているわけだ。さらに言うと、あなたが健康保険に入っているという事実は、あなたが「神の計画」を信じていないということを意味する。そうではないだろうか。例を見てみよう。

治癒を祈る
 人々は病気になるとよく神に祈る。重大で命に関わる病気や慢性病の場合はとくにそうだ。誰でも、祈りによってもたらされた回復や、医学的な奇跡について聴いたことがある。例えば、これはサンタモニカの主婦の物語だ。
 私が医者に行くと、彼は子宮がんだと告知した。医者によると治療法は子宮摘出だということだった。しかし彼はとりあえず化学療法から始めることを提案した。私の人生の目的は子供を生むことだったので、私は子宮摘出で不妊になりたくはなかった。その日、私はひざまずいて神に奇跡を懇願した。私は聖書の治癒に関する節を全て読み、それらをいつも持ち歩いている索引カードに書き出した。私はこれらの節を暇があれば朗読し、祈りをささげた。信号待ちのときも、夫の帰りを待っているときも。そして何が起きたのかって。神は私を治してくださった。私は化学療法をはじめた。次の訪問で、医者は変化に気づいた。彼は「手術は延期して、経過を観察しましょう」と言った。一年後、医者は癌をもはや検出できなくなり、完全に治ったようだと告げた。私にはそれが、聖書の言葉の力によるものだということが分かった。神は私の祈りに応え、私を治してくださったのだ。

 「道しるべ」誌を定期購読すれば、毎月こういう話が読める。今や大きな市の新聞や全国紙にも、このような話が載っているのだ。

 この話について二つ質問がある。

1、なぜ神が彼女を治すつもりだったにもかかわらず、サンタモニカの主婦は化学療法を必要としたのだろう。神は全能なのだから、副作用もなく瞬時に癌を治すことができたはずだ。

2、別の疑問として、もし神の計画が彼女が子宮摘出手術を受けることだったとすれば、祈りに何の意味があったのだろう。神の計画は全能の存在によるものなのだから、私たちが何をやろうが狂わされることはないはずである。そんな状況で祈ることに何の意味があるのだろう。

 この二つの質問とその互いの関係について考えると、何か重要なことに気づくだろう。もし神が存在して祈りに応え、私たちそれぞれについて計画を持っているなら、もはや医者に行くことに意味はない。健康保険に入るのは完全なカネの無駄だ。理由は単純だ。もし神が祈りに応えるなら、医者は必要ない。応えないなら、神の計画はあなたが病気になることなのだ。神は全能なのだから、いくら医者にかかろうが神の計画の結果を変えることはできない。医者に診てもらうのは時間の無駄だ。

イエスを理解する
 あなたが信者で聖書が手元にあるなら、ヘルスケアについてのあなたの信条を別の視点から見ることが出来る。マタイ福音書の6:25を開いてみよう。イエスはこう言っている。
 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。  

 イエスの言葉は非常に明確だ。「だから、あすのことを思いわずらうな」。しかし健康保険は、未来を思い煩っていることの具体的な表れである。あなたは明日の健康について思い煩っているから、健康保険に入るのだ。

 あなたが自らに問いかけるべきなのはこういうことだ。あなたが信者なら、なぜ健康保険が必要なのか。この問題には、自動車保険、生命保険、火災保険も当てはまる。なぜあなたは未来の健康について思い煩うのだろう。A)イエスが思い煩うなと言い(マタイ福音書6:34) B)イエスが全ての病気を治すと約束している(ヤコブ書5:15) のに。さらに言うと、健康保険とはつまりは金銭に関するものだが、なぜあなたは金銭について思い煩うのだろう。イエスはマタイ福音書6:19ではっきりこう言っている。
 
 あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。 あなたの宝のある所には、心もあるからである 

 マタイ福音書の19:21でイエスはさらにその先を行っている。全てを売り払い、その金を貧しい人に与えろと言っているのだ。明らかにイエスはあなたが健康保険を解約し、月の保険料を寄付に回すことを望んでいる。

 それから箴言3:5だ。
 心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ。そうすれば、あなたの身を健やかにし、あなたの骨に元気を与える。
 なぜあなたは主を信頼し、主があなたの身を健やかにすると信じているにも関わらず、健康保険に加入しているのだろう。

 ここで紹介した聖書の言葉は全て明確だ。なぜあなたはこれらの言葉が命じていることを全て無視するのだろう。

 たぶんこういうことだ。あなたは心の中では神が空想だと知っているから、聖書を無視しているのだ。そうでなければ、あなたは信者としてなぜ健康保険を所有し、神を無視しているのか。
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