イスラム国の捕虜になっていた方が殺害されてしまいましたね。ご冥福をお祈りします。…と言っても、死んだ人間は幸福も不幸も感じませんけどね。ということで、それとほんの少し関係があるネタとして、無神論の記事をまた紹介します。
原文:
http://godisimaginary.com/i46.htm
宗教の信者が次のような理屈で信仰を正当化するのを、聞いたことがないだろうか?
あなたが正しいとしよう。神などいないとしよう。それがどうした。神がいない世界で私が信仰者として死んでも、私は何かを失うわけではない。しかしあなた方不信心者が間違っていて、神が存在すればどうなるのか。あなた方は、地獄で永遠に苦しむことになるのだ。私が間違っていても私に失うものはないが、あなたが間違っていればあなたは全てを失う。
このような議論は、パスカルの賭けとして知られている。
この理屈の問題点は、この世には
数千の神が存在することだ。キリスト教徒だけでなく、イスラム教徒やヒンズー教徒も、この主張によって自分の信仰を正当化できる。この世に二人以上の神が存在する時点で、パスカルの賭けは破綻してしまうのだ。何しろ数千の神全てが
存在の証拠を残しておらず、どの神を選ぶべきかは誰にも分からないのだから。
さらに言うと、本当に信仰者は何も失わないのだろうか? 全ての神は人間の空想の産物であり、空想を現実と信じ込むことは普通
妄想と呼ばれる。信者は現実から眼を背け、生涯を妄想の世界で過ごすのだ。
対して無宗教の人間は、妄想に頼ることなく道徳的で愛に満ちた人生を送ることが出来る。不信心者とは妄想より現実を重んじる健全な人間なのだ。結果として、彼らは
より健康的な生活を送ることが出来る。
あまりに多くの神が存在するという事実は、それら全てが空想の産物であることを示している。全知全能の神が実在するなら、その存在は誰の目にも明らかなものとなるはずであり、私たちは皆その神に帰依することになるはずだ。