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神の不在証明39 イエスの人間性

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神の不在証明39 イエスの人間性

原文:http://godisimaginary.com/i39.htm

 たいていのキリスト教徒は、温かく慈愛に満ちたイエス像を思い描いている。彼らの中ではイエスは、「平和の主」であり「神の子羊」なのだ。イエスは完璧で、あらゆる罪と無縁の存在とされている。しかし本当にそうなのだろうか。イエスについて何も聞いたことがない人が聖書を読んで彼がどんな人物かを判断したときも、同じような人物像を思い描くのだろうか。聖書を虚心に読み、イエスがどんな人間だったかを判断してみよう。


 まずイエスは独りよがりの偽善者で、あまりお近づきになりたくないような人間のようだ。例えばイエスの最も有名な言葉に「汝の敵を愛せ」というのがある。マタイ福音書の5:43でイエスはこう述べている。

5:43
『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 5:44しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

 イエスはルカ福音書の6:35でも同じことを言っている。
 そうではなく,あなた方の敵を愛し,良いことをし,返してもらうことを期待せずに貸しなさい。

 これはとても単純なメッセージに見える。もちろんイエスはこの言葉を実行し、自分の敵を愛したのだろうと思って当然だ。偽善者でない限りそうするはずである。しかしマルコ福音書の16:15には驚くべきことが書かれている。
そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。 16:16信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は地獄に落ちる。 
 これを「福音」と呼ぶのだろうか? イエスは自分の敵をまったく愛していない。それどころかイエスの敵でなくても、イエスを信仰しない者は全員地獄の炎で永遠に焼かれることになるのだ。ここまで偽善的な人物は、普通嘘つきないし卑劣漢と呼ばれる。同じような偽善ないし矛盾は、マタイ福音書の5:16と同福音書の6:1、ヨハネ福音書の14:27とマタイ福音書10:34にも見られる。

 同じく聖書を読んで分かることとして、イエスは約束を守らない人間のようだ。マルコ福音書11:24でイエスはこのような約束をしている。
そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。

 ヨハネ福音書の14:12にも、同じことが書かれている。
よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。 14:13わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。 14:14何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。 
 「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう」というのは、どういう意味だろう。普通に考えて、イエスの名において何かを願えば、彼がそれを叶えると言っているのだろう。この台詞を他の意味で使うような人間は不誠実だ。さらに彼は同じことを何度も何度も言っている。マタイ福音書7:7「求めよ、されば与えられん」、マタイ福音書17:20「不可能なことは何もない」、マタイ福音書21:21「信仰があれば、祈りの中で求めた物は全て与えられる」。しかしお気づきのように、イエスは嘘をついている。あなたが何について祈ろうが、何も起きないのである。このように自分でやった約束を破るような人間は無責任である。

 イエスは明らかな嘘を語ってもいる。例えばマタイ福音書4:8を見てみよう。
次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて
 この話の問題点は「非常に高い山」から「この世のすべての国々」を見るには、地球は平らでなくてはならないことである。地球で最も高い山であるエベレストに登っても、250マイル以上遠くの国は水平線の向こう側にあるのだ。しかしご存知のように、イエスの時代には既に中国、南米、ヨーロッパなどに巨大な国家が出現していた。これらの国々はイエスが住んでいたと思われる場所から250マイル以上彼方にある。つまりイエスは全ての国々を見てなどいない。

 さらにイエスの偏狭な人間性を物語るエピソードがある。マタイ福音書15:22では、このような会話が交わされている。
すると、そこへ、その地方出のカナンの女が出てきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と言って叫びつづけた。 15:23しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。そこで弟子たちがみもとにきて願って言った、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきていますから」。 15:24するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。 15:25しかし、女は近寄りイエスを拝して言った、「主よ、わたしをお助けください」。 15:26イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。
 イエスはこの女性を犬と呼んでいる。彼女が属する民族集団が気にくわなかったためである。現代の政治家がこのような愚かな発言をすれば、たちまち政治生命を失うだろう。

 他人のものを盗む人間は紛れもない悪人であるが、マルコ福音書11:1にはこんな話が載っている。
さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブの山に沿ったベテパゲ、ベタニヤの附近にきた時、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、 11:2「むこうの村へ行きなさい。そこにはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのないろばの子が、つないであるのを見るであろう。それを解いて引いてきなさい。 11:3もし、だれかがあなたがたに、なぜそんな事をするのかと言ったなら、主がお入り用なのです。またすぐ、ここへ返してくださいますと、言いなさい」。

 「ちょっと借りるだけさ、すぐに返すよ」と言っては物を盗む人間を、誰しも一人ぐらいは知っているだろう。そしてイエスはまさにそれと同じことをやったのである。弟子たちはロバを盗んできたが、後で返したという記述はどこにもない。そんな面倒なことはしなかったのだろう…

 実は聖書にはイエスが何かを盗んだというエピソードがもう一つある。マタイ福音書の8:28で、イエスは豚を群れ単位で盗んだ上で皆殺しにしている(訳注:イエスは村人に悪魔がついていると言い、その悪魔を豚の群れに乗り移らせた上で豚ごと湖に沈めた)。

 聖書を読む限りイエスは、思慮深い人間というよりむしろ、感情的で幼稚な人間である。マタイ福音書の18:7はそのいい例だ。
 この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。 18:8もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。 18:9もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。 
 この発言はいろいろな意味でまったくもって愚かしい。まず、手のような器官が「罪を犯させる」ことはない。「罪」を犯させるのは脳である。小学校以上の教育を受けた人間なら誰でも知っていることだ。イエスが言うように目を抜き出して捨てたり、手を切り取って捨てたりしても何の意味もない。あなたが何か「罪」を犯しており、体のどこかを切り取ってそれを解決する必要があるなら、脳を摘出しなければならない。全ての「罪」はそこから生まれるからである。

 さらに言えることとして、罪に対するイエスの治療法は完全に間違っている。もしあなたが自分の不健全な行動で悩んでいるなら、すべきことはその原因を突き止めて解決することだ。そのためにカウンセラーに相談するなり医者に見てもらうなりするのが、まともな人間の考える対処法であり、自己切断はまったく馬鹿げた処方箋だ。イエスは偽善者というだけでなく、愚か者でもある。彼は完全に無意味で、しかもひどい結果を招くような危険なアドバイスを与えているのだ。

 マルコ福音書11:15には、イエスが感情を爆発させるシーンがある。
それから、彼らはエルサレムにきた。イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、 11:16また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。
 これが賢明な行為と言えるだろうか? 思慮深く道理をわきまえた大人がやるようなことだろうか? いや、これは子供の行動だ。全能の神の子なら、感情に任せてテーブルをひっくり返すよりはましな方法を考え付くことができたはずである。

 マルコ福音書11:12にも同じく感情的な行動の描写がある。
翌日、彼らがベタニヤから出かけてきたとき、イエスは空腹をおぼえられた。 11:13そして、葉の茂ったいちじくの木を遠くからごらんになって、その木に何かありはしないかと近寄られたが、葉のほかは何も見当らなかった。いちじくの季節でなかったからである。 11:14そこで、イエスはその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえの実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。 
 同福音書11:20を読むと、この木は翌日に枯れている。
 
 さて、もう一度見返してみよう。神の子は腹を空かせていた。彼はイチジクの木に近づいた。実のなる季節ではなかったので、木には葉しかついていなかった。イエスは実が欲しかった。だから彼は木を枯らした。何という幼稚な行動だろうか。なぜイエスはその全能の力を使って木に実を生らせなかったのだろう。あるいは誰かからレーズンをもらって来て、それを5000籠のイチジクにしても良かったではないか。腹立ち紛れに木を枯らすというのは、幼稚かつ愚かな人間のやることだ。

 これが最後の例だが、愚か者や偽善者はしばしば矛盾したことを言う。さて、イエスはルカ福音書14:26でこう言っている。
だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分自身をも憎んで、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。
 ああ分かった。つまり全てを憎めばイエスの弟子になれるのだろう。「汝の敵を愛せ」、「汝の隣人を愛せ」と誰かが言っていたような気がするが。さらに十戒の一つに両親への尊敬があるのを忘れてはならない。結局どちらがイエスの真意なのだろう? イエスの弟子になるためには、敵、隣人、両親を愛せばいいのだろうか。それとも憎めばいいのだろうか。こんな矛盾した要求をする人間はまともとは言いがたい。

 あなたが永遠の生命を望んでいるとしよう。そのためにはどうすればいいのだろうか。たぶん自分自身を含む全ての人間を憎めばいいのだろう。そう思って聖書を読んでいくとルカ福音書10:25では、さらにこんなことが要求されている。
するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。 10:26彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。 10:27彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。 10:28彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。 
 正しいのはこっちだろうか。これをやれば永遠の生命が得られるのだろうか。いやそれも違うようだ。ルカ福音書18:18でイエスはこう言っている。
また、ある役人がイエスに尋ねた、「よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。 18:19イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。 18:20いましめはあなたの知っているとおりである、『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証を立てるな、父と母とを敬え』」。 18:21すると彼は言った、「それらのことはみな、小さい時から守っております」。 18:22イエスはこれを聞いて言われた、「あなたのする事がまだ一つ残っている。持っているものをみな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
 ルカ福音書の10での答えと、同福音書の18での答えはまったく異なっている。このことは明らかに、イエスがその場限りのでまかせで質問に答えていることを意味する。これも幼稚で愚かな人間がよくやることだ。

 さらにヨハネ福音書6:53には、永遠の命を得るためになすべき新たな行為が提示されている。
イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。 6:54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。 6:55わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。 6:56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。 6:57生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。 6:58天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。
 グロテスクだと思わないだろうか? そしてイエスがルカ福音書で言っていたこととはまったく矛盾している。マタイ福音書18:2では。
すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、 18:3「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 
 「幼子のようになる」とは、正確にはどんなことを示しているのだろう? 例えば小さな子供はサンタクロースを信じていて、よく兄弟げんかをする。大人である我々も、そのような行動を取るべきなのだろうか? イエスは何も言っていないので、天国に入る資格を得るには具体的にどうすればいいのかは謎のままだ。

 まあそれは置いておこう。結局「幼子のようになる」ことができれば、天国に行けるのだろうか? いや、明らかに違う。本当は神の王国を見るには「新しく生まれる」必要があるのだ。ヨハネ福音書3:3でイエスはこう言っている。
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。 3:4ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。 3:5イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。 3:6肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。 3:7あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。 3:8風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。
 まったく意味が分からないし、これまでに見てきた発言とも矛盾する。しかしイエスは確かにこう言っている。

 矛盾についてはとりあえず置いておくとして、これは正しいのだろうか? 幼子のようになり、何らかの方法で水と霊から「新しく生まれる」ことが出来れば、天国に行けるのだろうか? いや(いい加減にして欲しいが)、これもまた違うようだ。マタイ福音書5:17ではイエスはこう言っている。
わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。 5:18よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。 5:19それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。 :20わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。

 また馬鹿げた方向に話が進んできた。律法学者やパリサイ人は大人だ。子供ではない。そして聖書を読むと、パリサイ人のようには絶対になりたくないと思うだろう。しかしそれがイエスが要求することなのだ。「新しく生まれる」や「幼子」の内容は無視し、まともな人間なら絶対にしないような行動を取ろう。天国に入るためにパリサイ人以上の義をもって、旧約聖書の法を厳守するのだ。まずあなたの隣人のほとんどを殺すことから、この尊い使命は始まる。 

 それから有名なヨハネ福音書3:16を読んでみよう。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 
 結局どれが正しいのだろう??? 天国で永遠の生命を得るためにしなければならないのは何なのだろう? 天国に行くための条件は、聖書の中で他にも15ほど挙げられている。どれが正しいのかを確かめる方法はないし、さらに悪いことにそれらは互いに矛盾している。だがこれらの内容を全て読んで見て分かることが唯一つある:イエスは自分が何を言っているのかをまったく理解していなかった。
 
 この問題のもっとも驚くべき点は、「永遠の生命」というのが全くの御伽噺であることだ。誰も永遠の生命を得ることなど出来ない。イエスが売り歩いているのは空手形だ。生物学者に聞けば全員が、生命とは化学反応の集積だと答えるだろう。「魂」という考え全体が、人間の想像力が生み出した絵空事に過ぎない。詳しくは証明25証明27を見て欲しい。

 これらの例全てを見れば、真実は明らかだ。イエスは「神の子」ではなかった。また彼は完璧でもなければ、全ての罪と無縁の存在でもなかった。イエスは欠点だらけの一人の人間に過ぎなかったのだ。そもそも実在したとしてだが。さらにイエスはスネークオイル(訳注:昔アメリカで売られていたインチキ薬、転じて詐欺商品の代名詞)のセールスマンでもあった。キリスト教徒がこのことを理解できないのは、彼らの妄想の深刻さを示している。



管理人コメント
 多分これまでで一番危険な記事だな。ところで翻訳も結構苦労した。"jerk"という単語がイエスの性格に対する批判として頻繁に使われてるんだけど、この語にぴったりする日本語ってないんだよね。ニュアンス的に一番近いのは「屑」だけど、さすがにこれを使うのはためらわれたし。ということで今回はかなり意訳になってる。
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